野村三喜夫 MIKIO NOMURA

野村三喜夫 NOMURA MIKIO


食の総合コンサルタント 株式会社デリス Delys 代表取締役

※デリス:フランス語で満足・感激・美味しいという意味。

Honorary Certificate 労働大臣認定

料飲サービス士 1級 第51054



野村三喜夫 MIKIO NOMURA

詳細+インタビュー-Interview

~フランス修業時代から現在まで~

20代の頃、当時フランスに労働許可証を得て働く人がほとんどいなかった時代、

厳しい条件をクリアし、フランスのホテル・クリヨンに勤務し厨房全部門を経験。

ホテル・クリヨンは元はマリーアントワネットが住んでいた館で、最高級のホテルである。

当時、日本人の宿泊客はまだ、昭和天皇だけだったという。

その後、世界のセレヴの社交場 モナコ モンテ・カルロの

国営ホテルで働き、ホテルの三ツ星レストランのシェフに就任。

日本に帰国後は、東京青山でレストラン「デェリス」開業。

神戸北野町異人館レストラン「グラシアニ」と関連のレストランを

統括料理長として勤務したり、JR西日本ゲストハウス料理長、

ホテルグランヴィア京都宴会料理長を経て、再び神戸北野に

レストラン「デェリス」と、スープファクトリーを開業。

同時に、JR西日本の依頼により、オリジナル商品の開発や

地域の商品開発、食育の指導、食品開発のコンサルタント等行い、

これまでの経験を活かし、食に関する様々な分野で活躍中。


修行時代:

学習研究社本社、明治記念館、高級レストランアルテリーベで経験を積む。

■20歳で海外に出、スイス・チュウリッヒの「グロケンホフホテル」でパティシエールの技術習得

■フランス・パリ(マリーアントワネットが住んでいた館)「ホテルクリヨン」で

厨房全部門を経験させてもらう(当時は、日本人の宿泊客はまだ、昭和天皇だけと聞いていた)

■世界のセレヴの社交場 モナコ モンテ・カルロの国営ホテルで働きホテル・レストランのシェフに就任 後、

フランス三ツ星レストランのメニュー集まる レストラン シェ セプティムでシェフ ドゥ ポワソニエ

(魚介類担当シェフ)を経験。この時、今までの経験とフランス国内の物流の流れが一気に変わり、

鮮度の悪い物を美味しく作り変える技術から、新鮮な素材に火を加えて更に美味しくする技術が交差しあう瞬間(時代)

に立ち会えその時の調理技術・知識の習得は今までに覚えてきた10年分の10倍を3ヶ月で習得したようだ。


日本に帰国後

■帰国後 委託で東京青山でレストラン「デェリス」開業

■神戸北野町異人館レストラン「グラシアニ」と関連レストランを統括料理長

■神戸国立公園内「トゥールドール」総料理長

■JR西日本ゲストハウス料理長

■JR西日本外食産業グループ顧問講師

■ホテルグランヴィア大阪 調理部統括課長

■ホテルグランヴィア京都宴会ホット料理長

■神戸に野菜の美味しいレストラン「デェリス」開業

平行して株式会社スープファクトリーを創設

■香川県高松市に株式会社アンサンシーブル製造工場設立

■これまでの経験を生かし、食のコンサルタントとして活躍中


渡仏する人が殆どいなかった時代、20代と言う若さで外国に飛び出したフレンチの一流シェフ。

スイスのチューリヒでお菓子とチョコレートを学びフランスのパリではフランスの迎賓館ホテル・

ドゥ・クリヨンで各国の大統領や大様・貴族しか宿泊出来なかったホテルで調理技術を身につけ

その経験の後は、モナコ モンテカルロへ行きモンテカルロの国営ホテル(グループにはホテル・

ドゥ・パリ、ホテル エルミタージュ、カフェ ドゥ パリ、ベルエポック、カジノ、スポルティ

ングクラブ)でホテルレストラン シェフを勤め、約8年の外国生活を終え日本に帰国。帰国後は

レストラン開業、大手企業のゲストハウス、一流ホテルの料理長を経てこれまでの経験と技術を

生かし食品の生産、加工、生産工程(メーカー)のアドバイスとコンサルティング、大手食品企

業やホテル用に商品開発を行う。また政策プロジェクトとして地域活性化、6次産業推進にも協

力し又、地方教育委員会が行う食育で小学生には料理教室、中学生とは思い出に残るフレンチの

フルコースを通しマナーを教え、食を通じての文化交流も行う。その他 花やハーブを使ったフラ

ワーセラピーと食のコラボレーションによる安らぎの空間作りや豪華客船でのイベント調理、第

三セクターのイベント協力などを行っている。