日本の伝統芸能である“能”の始まりは、
聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて創作されたものである。
能は元々「猿楽(申楽)」といい、定まりのない物まね的な音楽だった。
そこに、言葉ではあらわせない所作や、歌舞、物語に幽玄美を漂わせ、
能というものを大成させたのが観阿弥・世阿弥親子であった。
世阿弥の時代から約600年。明治42年に世に出て評価されるまでの
数百年間、まさに秘本・口伝であった代表的書物『風姿花伝』。
これは父の遺訓、また自ら会得した芸術・精神論をまとめたもので、
日本最古の演劇論である。
【「風姿花伝」能楽論書の一文】
「桜や梅が一年中咲いていれば、誰が心を動かされるだろうか。
花は一年中咲いておらず、咲くべき時を知って咲いている。
能役者も時と場を心得て、観客が最も「花」を求めている時に
咲かせねばならない。花は散り、花は咲き、常に変化している。
十八番の役ばかり演じることなく、変化していく姿を「花」として
感じさせねばならない。「花」が咲くには種が必要だ。
花は心、種は態(わざ、技)。観客がどんな「花」を好むのか、
人の好みは様々だ。だからこそ、能役者は稽古を積み、技を磨いて、
何種類もの種を持っていなければならない。牡丹、朝顔、桔梗、椿、
全ての四季の「花」の種を心に持ち、時分にあった種を取り出し咲かせるのだ。」
「花のつぼみが徐々にほころび始め、花が咲き誇り、最後には散る。
老齢期に入り、それでもなお美しいものが残るなら、それが「まことの花」である」
『風姿花伝』 能楽者/世阿弥 著