山と里の結界の民族思想は、
おとぎ話を聞くようでとても興味深い。
里山と奥山の境界意識は、里山は人の領域、
奥山は神の領域として奥山に対しての敬虔な
心意は長く守られてきた。
山の狩猟、マタギとして生活する人々は、
山に入る前に敬虔な気持ちで心を切り換え
山に参入したという。
秋田県由利郡鳥海町百宅(現:由利本庄市)は、古くは
マタギの村であった。そこはみごとな水田が開かれ、
かつて聖人が「百戸を養いるであろう」と称した
ところから「百宅」という地名を得た。
百宅では猟を終えて家に帰ると、まず山の神に獲物を供え、
感謝の祈りをささげ、その境内をあとにして
はじめて里言葉を使う事が許された。
また、東北地方の各地に残された伝承によると、
マタギの多くは山言葉と里言葉を使い分け、
山言葉は里では使っていけないとされ、
逆に山で里言葉も使っていけないとされていたのだとか。
青森県中津郡西目屋村にあったマタギの村では、
山すそにある神社が結界点で、山と里のこの結界点が、
言葉の切り換え点だったという。新潟県岩船郡朝日村は
マタギの集落であったが、昭和60年にダムの湖底に
消えてしまった。ここでも里言葉、山言葉切り換えていた。
深山・聖山に広がるマタギの思想、山と里の結界の民族思想は、
水源や動植物の生態系・自然景観を守るという意味で、
継承されることを願いたい。