「木によく肥料をほどこすならば、労せずして確実に結果は実ります。
ゆえに賢者は木を考えて実を得る。小人は実を考えて実を得ない」
上杉鷹山は、このような教えを当代屈指の学者の一人・尊師であった
細井平洲から授かりました。
藩の財政を建て直した鷹山の改革でとくにすぐれているのは、
家臣を有徳な人物に育てたことです。
人を有徳に用いて知恵を絞り、少しずつだが効果的に改革が進み、
自己の理想のものに作り上げていきました。
上杉鷹山が秋月藩(九州)から養子として入った上杉藩は、
百万石の家臣を抱え、全国の五大名の一人に数えられていた。
しかし関が原の闘いで反徳川方についたが為に、藩領を移された上に減封され、
鷹山が若くして藩主になった時にはわずか十五万国しかなかったといわれています。
しかし家臣の数はというと百万石の時と変わらず抱えたままで、
負債は何百万両にものぼるような大変な極貧状態だった。
それによって民にかかる税はきびしくなり、住民は土地を追われ村はしだいに
さびれていったのです。
そんな悲哀のたちこめる自領をみている時、鷹山はある光景に目が止まりました。
村人が消えそうな火鉢の炭火を大事にそっと辛抱強く息を吹きかけていると、
消えてしまいそうな火が蘇ったのです。
共の者がその火鉢をお持ちしましょうかと尋ねると、鷹山は、
「今はよい。素晴らしい教訓を学んでいるところだ」と家臣に伝えたという。
“同じ方法で、わが治める土地と民とをよみがえらせるのは不可能だろうか”と、
この時のことを「希望が湧き上がった瞬間であった」と記録が残されています。