法隆寺の現存を1300年守ってきたのは、
職人の手から手へと引き継がれてきた技と知恵。
代々法隆寺に仕えた宮大工、西岡常一(にしおか つねかず)氏の
言葉には、忘れてはいけない真髄と重みが感じられます。
今回は西岡氏の心に染みわたる言葉を、著書の中からご紹介いたします。
■著書「木のいのち 木のこころ」より一部抜粋
私らが相手にするのは檜です。
木は人間と同じで一本ずつが全部違うんです。
木は生きているんです。計算通りにはいかんのですわ。
一本一本、木の性質は違いますわ。
人間と同じです。育った場所も気候も、風当たりも日当たりも、
性根もまったく違いますのや。
それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。
そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるんです。
これは法隆寺が立派に証明してくれています。
癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。
癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、
うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。
人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。
癖のない素直な人間は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。
人間が種を播いて育て、山へ移植した木はあきませんのや。
せいぜい五百年ぐらいだすな。自然の中で競争せず、温室のように
育ったのはあきませんのや。
それと、「根を動かす」というのがありますが、
たいがい木というのは、生えましたところにじっと育ちます。
そこで育つわけですから、地のなかに根を張っていきますな。
それを移植する時は根をみんな切ってしまうんですな。
やむをえんというて切りますわな。
しかしそれでは千年という木は育たんのです。
西岡常一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%B8%B8%E4%B8%80