かの名高い名将、上杉謙信は義を重んじ、人から助けを求められれば
必ず応える人物で、正に『義将』と呼ばれるに相応しい人でした。
しかし、その一方で理想と現実がうまくいかず思い悩む事もあったようです。
関東に平穏をもたらす事を含め、助けを求められればすぐに家臣達を率いて
戦場に赴き、休家臣達にとってはあまり利が無いものでしたが、
それでも謙信が神がかり的な強さで勝ち続ける事により求心力を失わずにいました。
しかし戦場から戦場にかけ、家臣達を率いて行くことに謙信はやがて悩みます。
私は『義』のために戦っているが、多くの家臣達とその家族にとって、
はたしていいことなのだろうかと。
ある時、謙信は林泉寺に高僧が来たというので訪ねます。
僧侶は顔を合わせるやいなや謙信に質問します。
「達磨不識の話をどう理解しておられるか?」
※達磨不識の話とは、古い中国の話で皇帝と中国に禅宗を伝えた達磨大師との問答です。
【達磨不識の話】
皇帝 『私は仏のためにたくさんお寺を作り、お布施をしてきました。
どれほど価値があるでしょうか?』
達磨 『あなたのした事に価値があるかは、分からない』
皇帝 はムッとしながら、『では高名な僧侶であるあなたに価値はあるのですか?』
達磨 『不識!(それは分からぬ)』
人にとって、価値を感じるのも様々で、価値があるか否かは誰も決められない、
という事でしょうか。
この話を聞いた謙信は自分自身を重ね合わせ、己のした事、己の行いの価値など
知らなくて良い。こだわりを捨てあるがままに生きる。そう悟り出家しました。
関東管領として関東に平穏をもたらす事にこだわり続けた謙信でしたが、
この頃から方針を変え、西へ侵攻し、新たに得た領土を家臣達に分け与え
上杉軍は結束を固めたと言います。