神と自然の景観論

民俗学は、どこか遠い昔の記憶のようであっても、

知らず生活の習慣となり、心に鎮座しているものが多い。

地域に残る神事や伝承は、どのような理由として

受け継がれているのか、とても興味深い。

噴火する山、揺らぐ大地、暴れる水の影響を受ける

日本の地形(巨岩、滝、川、海、淵、岬、洞窟、

樹木等)から受けた影響・観念を、

民俗学者、野本 寛一氏が詳しく伝えている。

野本 寛一氏

著「神と自然の景観論」より抜粋------------

各地域に残る神事や営為は、地形や自然環境を

ぬきにしては考えられない事がよく分かる。

世代を越え、年代を越えた祈りの継承は、

ムラムラに神の島、神の森として原始植生を与え、

ムラびと達に安らぎを与え、共生の関係が成立した。

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自然環境は人に害や畏怖を与えるものばかりでなく、

人々の生業や生活を助成するものでもある。

氾濫する水は、別な場面では農業用水であり、

命の水でもある。船を悩ます潮流も、魚を運ぶ

恵みの潮となる。温泉は畏怖すべき火山のもたらす

逆の恵みであった。

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日本人はどのようなものに神聖感を感じ、

いかなる景観のなかに神を見てきたのだろうか。

しかるべき風景を眺望した時、背筋を走る電撃に

身を慄わせ、粛然と身を正すことがある。

そうした場所は、日本人の魂のやすらぐ原風景であり、

郷愁をさそう景観でもある。そうした風景の中に

身を置く時、先人たちの願い・憧れ・祈りなどが

無言のうちに蘇り、喧噪と多忙に摩耗された自分が

救済される思いがする。

神々の座す風景は、この国の先人たちが自らと末裔

のために選んだ最大の遺産である。

それは、我々の内省・再生・復活のためには絶対

不可欠な場であろう。

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しかし、今やその風景も総じて変貌が著しい。

その変貌は日本人の心の反映にほかならない。

すべての環境問題の起点はここにある。

自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し

自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・

民俗的モラルが揺らぎ、衰えてきているのである。

かつて、我々の先人達は、この神聖の地に身を置き、

身と魂を洗い、汚れた心身を清め、魂の衰えを充たし、

おのれを蘇生させてきた。

そうした魂の原郷は、いかにしても次代に手渡して

ゆかなければならないと思う。