禅語に『関』という言葉があります。
人は、人生の中で何度も難しい関門にぶつかります。
その関門にさしかかるたびに、不屈の精神、努力で
一つ一つ乗り越えていく。そうしていくと、
いままで大変だと思っていた関所が、
実にスムーズに通れるようになる。
そして最も苦しい関門を突破できれば、その先には
自由な広々とした天地が開けているという意味が、
この『関』に込められています。
余談ですが、
人生というのは船旅に似ていると、時々思います。
天候がよく、うまく進む時もあれば、左右に大きく
揺さぶられる時もある、長い長い旅路。
しかし、心配ばかりしていたら快適な船旅を
過ごすことは出来ません。
乗るからには、覚悟を決める。
そういう心の準備があれば、人は自然と受け入れて
いけるものなのでしょうか。
また、人は辛苦艱難、喜怒哀楽、利害得失、栄枯盛衰、
そういう人生の事実、生活を勇敢に体験することよって、
生きる事の意義を見出し、自己人物を練ることが
出来るのだと思います。
しかし、実際船に揺られてばかりでは、体が持ちません。
時には地上に上がり、心と体を休めてこそ気力が生まれる。
そして、時にはめいっぱい好きな事に没頭し、
心と体に栄養を与える。そういうバランスをとって
長い旅路を有意義なものにしていければ何よりと存じます。